Piano and I

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皆さんはクラシック音楽を聴いていますか? クラシック音楽は今よりも100年以上も昔に作られた曲たちであり、今も聴き継がれている曲たちです。例えば、今私たちが聴いている曲のうち、どのくらいが、100年200年後にも聴かれ続けるか、考えてみたことはありますか。記録技術の発展した現在では、クラシック音楽が作曲されていた時代よりもずっと多くの曲が生き残るかもしれませんね。 僕自身、20年ほど(正確な年数が分からないほど)ピアノを弾き続けていて、社会人になった今でも運動の一つとして生活習慣に取り入れています。ピアノが運動になるのか、と信じられないかもしれませんが、おそらくそれは、あなたが想像したよりも僕はずっと難しい曲を弾いている、ということなのでしょう。 僕の一番好きな作曲家は、と聞かれたらベートーヴェンです。いろいろな作風の作曲家がいて、全然違う曲を書いていて、単純な比較は本当に難しいのですが、それでもこれは間違いないでしょう。中でもベートーヴェンの後期のピアノソナタは本当に素晴らしく、僕のピアノ人生においてずっと目標としている曲たちです。 すっかりボロボロのベートーヴェンの楽譜。編著:Monotari Iguchi、出版社:世界音楽全集・春秋社販 ベートーヴェンの作曲活動は、初期、中期、後期の3期によく分類されます。これは、ベートーヴェン自身が作曲活動上のスランプに陥り、新しい作風を獲得してスランプを脱したタイミングと概ね一致しています。ピアノソナタの場合、初期は1~13番、中期は14~27番、後期は28~32番を指すことが多いようです。 ピアノソナタとは、作曲者自身がそれと命名しているものです。通常、ピアノ独奏曲のうち、作曲者自身によって最も高度かつ大規模なものとして位置づけられている作品です。 ベートーヴェンの最後のピアノソナタはタイトルのない第32番のソナタで、1822年に完成したとされています。その後ベートーヴェンは1827年まで生きたのですが、その間、ひとつもピアノソナタは書かれていません。これは、この曲を最後まで聴けば、もうこの先が必要ないことが自ずとわかるだろう、と言われたりもするのですが、ベートーヴェンにまだピアノソナタを作る気があったのか、真相はよく分かりません。 この作品を最近演奏したのは東大ピアノの会の卒業演奏会で、2014年3月の話にまで遡ります。その前に演奏したのは確か、大学一年生の時、2011年の1月だったでしょうか。2013年夏から2016年春頃までは著しく体調が悪く、文字通り生死の境を彷徨っていたのですが、卒業演奏会のころは入院明けで比較的体調もよく、何とかギリギリ練習して演奏できたことを覚えています。その演奏は、長く演奏していたこともあり、僕にとっては史上最高の反響を得た演奏だったのですが、録音機材のトラブルのため、文字通り伝説となってしまったのでした。 そして2018年の10月、突然、またこの曲が弾きたくなるという出来事が起こりました。体調の不安はすっかりなく、指にはもはや傷もなく、練習には何の支障もありません。なぜこの曲がまた弾きたくなったのか。恐らく、自分があの時の演奏を超えられるような気がしたからでしょう。 ピアノに関する迷信にはいろいろなものがあります。例えば「1日さぼると3日分戻る」とか、「テクニックが上達するのは20歳まで」というものです。僕からしてみると、これはどちらも嘘です。ものすごくうまくなると前者はイエスなのかもしれません。しかし、少なくとも僕のレベルでは、前者は当てはまりません。体調の関係で大学卒業前後の2年ほど弾いていませんでしたが、腕はすぐに戻りました。また、テクニックに関しても、ずっと伸び続けている実感があります。後者の迷信に当てはまる人は、たぶん、練習中に何も考えていないのでしょう。練習中にずっとうまく弾くにはどうすればいいのか、考えて、考えて、考えながら練習する。そうすれば、必ず上達します。 さて、そうして練習していると、確かに以前苦しかった場所がらくらく弾けるようになっているのですが、やはり長く弾いている曲だけあって、いろいろなことを思い出します。中でも面白いのは、最初にこの曲を練習していた2011年ごろの話で、サークルのある先輩が「おっぱっぴー、おっぱっぴー」という不思議な言葉を僕に投げかけてくるのです。これはどういうことなのか、と話を聞いてみると、その先輩が同じ曲を練習している傍らで、妹に「おっぱっぴー、おっぱっぴー」と口ずさまれた、というのです。 ベートーヴェンのとりわけ荘厳なピアノソナタに対して、その当て字はないだろう、とも思うのですが、実際に聞いてみると確かにそのように聞こえてしまうのです。というのも、ベートーヴェンの後期の作品の特徴として、とても短い音のモチーフを、少しずつ形を変えて何度も何度も繰り返し登場させる、というのがあるのですが、お察しのいい方には既にお分かりの通り、32番のソナタの第一楽章に繰り返し用いられるモチーフがまさにそのように聞こえるのです。そういうわけでこの迷惑な当て字に「感染」してしまうと、どうしてもこの曲が間抜けに聴こえてしまうというわけです。もうここまで読んでしまったら、あなたも逃れることはできません。 本当にそのように聴こえてしまうのでしょうか?あとは、実際にこの曲を聴いて、あなたの耳で確かめてみてください。その時、このようなところに注目してみてください。 第一楽章 この曲は「ソナタ形式」です。ソナタ形式の特徴の一つとして、同じメロディが、曲の前半と後半で、異なる高さで演奏されます。前半部分は2回繰り返されます。 ソナタ形式の特徴の一つとして、曲の前半と後半の間で、「展開部」という、あえて曲想を複雑にしている部分があります。展開部にはものすごい濃度で「おっぱっぴー」が濃縮されています。 正確な数は分かりませんが、少なくとも40回くらいは「おっぱっぴー」が登場していると思います。いくつくらい見つけられましたか? 第二楽章 この曲は「変奏曲」です。主題と、その変奏が、第6変奏まであります。主題及び各変奏は、始めは明るく、だんだん暗くなり、また明るくなったところで終わります。 変奏は、曲が進むごとに元の主題からかけ離れていき、第3変奏で最も主題の面影を失います。そこから、また元の主題に近い形に戻っていきます。 第4変奏には主題とは無関係な挿入がかなり多く、特に第5変奏との境目あたりは息の長いトリル(2つの隣り合う音を交互かつ高速で連打することです)と3重トリルが登場します。 第6変奏はかなり主題に近くなっていますが、右手の薬指と小指でトリルを弾きながら親指でメロディを弾くという形になっており、美しく弾こうと思うと極めて難易度が高いです。 それでは、またどこかで。