人と地球とのつながりを知る旅
〜 海の守り神、ジンベイザメを追う 〜
I am the Ocean. I’m water, I’m most of this planet.生きとし生けるものはみな私を必要とする――私たちの住むこの星は、唯一無二Nature Is Speaking – Harrison Ford is The Ocean ⒸConservation International (クリックで動画表示)もし自然が言葉を持ったら、何を語るだろうか?というコンセプトで制作された“Nature is Speaking”。「海/Ocean」をテーマに、CI副理事長でもある、俳優のハリソン・フォード氏が海の声を担当。©Conservation International/photo by Sterling Zumbrunn広大な宇宙に浮かぶ、どこまでも青い、美しい小さな星、地球。様々な偶然が重なり、限りなくゼロに近い確率の壁を乗り越え、約46億年以上も前に誕生したとされる。この奇跡の星は、ひょっとすると幾兆をも存在するとされる、まだ人間のレベルでは知る由もない別の銀河系の中では、実は大したことはない、ただの一つの星に過ぎないのかもしれない。だとしたら地球のような星は、きっと宇宙のどこかに存在していて、そう考えると、それはそれで心が躍る。地球のような美しい星が、きっとこの宇宙のどこかにある! これもまた科学的ロマンだ。そして、一方、こうも考えられないだろうか。僕らが暮らすこの星は、やはり様々な奇跡的な条件が重なりし創造物なのだと。地上では実に多種多様な生物や、息を呑むような大自然や絶景が生まれ、地球が何億年という時間をかけて育んできたそれらは、まさに宇宙の宝だ。銀河の果てまで探しても地球のような星を見つけることは、限りなくゼロの可能性なのかもしれない。だとしたら、この青く、美しい星、地球を、僕たち人間はどれだけ大切にするべきなのだろうか。少なくとも、太陽系に地球ほどの星は見つかっていない。つまり、それが意味することは、どれほど生物たちにとって尊い星なのか、もはや言葉で説明する必要はないはずだ。小学生の時、科学書の名著とも呼ばれる 「コスモス」という本を読み、地球の特別さを知った。幼心にも、この唯一無二の星を大切にしようと、強く感じたことを覚えている。僕は、物心ついた時から宇宙が好きで、友人たちと音楽の話で盛り上がる一方、本屋に通っては、科学雑誌を読みふけったり、望遠鏡で星を眺めたりしていた。そんな宇宙マニアだった僕が、「地球温暖化」という言葉をはじめて聞いたのは、中学生のときだ。いつも読んでいた「ブルーバックス」という新刊の科学書シリーズに、人間の生活が地球に与えている破壊的な影響、そして、それが近い将来、何を意味するのか、そんなことが事細かに綴られていた。自分たちの存続にも関わる大問題。一つの工場が汚水を垂れ流し、公害を引き起こすことはもちろん問題だが、さらに最大の害は、人々が便利を望み、もっともっと豊かになろうとすることで、こうした問題を解決できるよう取り組まないということ。それは、その結果において、問題に加担していることになるのだとしたら、自分を含めてすべての人が加害者になり得る事実。僕は、ただただ立ち尽くした。生きているだけで、加害者なのかもしれない。衝撃だった。痛烈な痛みのような電気が心に走ったような感覚だ。――人生も半世紀過ぎた今、僕は自身の運命に従っている。ビジネスキャリアで培った経験値を活かし、地球の環境保全を目的とした持続可能な社会の構築を目指す国際NGO、Conservation International(コンサベーション・インターナショナル:以下CI) の日本代表理事として、僕は地球環境と人間社会の在り方に真剣に向き合い活動をしている。少年だった自分が受けた衝撃は、今もずっと自分の心に消えずに残っている。この美しいブルーの星、僕たちの大地が、この先、何百年、何千年先まで今のまま生命が誕生する星であってほしい。この物語では、僕が30年以上、環境問題や開発に携わる中で得てきた学びをできる限り記してみたい。そして、僕たち人間がいかに地球(大自然)に祝福されている生き物であるのかということを、「Whale Shark Tracker(ジンベイザメ トラッカー)」というプロジェクトを通じ、少し触れてみたいと思う。これが何かのきっかけになったなら、そしてまた、このプロジェクトの重要性が伝わったなら、とても嬉しく思う。それ以前に、この真実の物語が皆さんの人生に届いてくれたなら、ただただ幸福だ。最後に、読み終わった後、どんな形でもいい、もしこのプロジェクトに参加してもらえるなら、心からの感謝を伝えたい。環境保全は社会に新たな価値を生み出す環境保全と経済的な発展は、相反するものだと時に言われることがある。やり方次第では、環境保全の観点を取り入れることは、コストではなく、新しい価値を生み出すことにもつながるという考え方を僕は青年期に知った。環境問題に興味をもった僕は、当時日本にはなかった、総合的に環境学を学べるアメリカの大学院への留学を決めた。そこで初めて知ったのは、自然を活かしながら、人間の生活も豊かにするという新しい、持続可能な開発の考え方。それらは非常に刺激的で、僕は環境経済・政策を専攻し、未来の開発のあるべき姿を探った。1992年頃、北米、デューク大学キャンパスにて卒業後は、コンサルタントとして、日本の大手企業に就職し、環境アセスメントや政府、自治体の環境政策立案など、環境関連の仕事に携わった。どれも素晴らしい経験だったし、キャリアとしてはこの上ない実績を得ることができた。当時からとても感謝していたし、満足感もあった。ある時から、仕事を任されるようになり、産業団地の開発計画の立案といった、環境保全とは真逆の案件もこなすようになった。多額の受注額、開発計画の全体のコスト、それらを意識しながらプロジェクトを成功に導かなければならなかった。もともと民間企業で利益追求が求められる中、環境を意識しながら仕事をする難しさは並大抵ではなく、だんだんと本意ではない仕事のやり方に対して葛藤を抱くようになり、苦悩する自分がいた。責任が増え、やりがいを得ると同時に、深夜、休日残業が当たり前の働き方が体に応えるようにもなった。先輩や会社に感謝と申し訳ない気持ちも入り交じり、逡巡の末、僕はキャリアではない道を選ぶこととなる。以前から関心を持っていた国連開発計画(UNDP)への道がその時決まった。国連という大舞台に立つこと、国連が示した方針のもと、開発計画を進められるという願ってもないチャンスを得たその喜びもつかの間、そこでもすぐに現実を思い知ることとなった。自分が信じる理想となる持続可能な事業開発の実現は、容易ではないことを実感した。各国の担当者らと開発計画の立案などを行ったが、利益を追求する民間企業や、予算に限界がある政府の多くは、追加的なコスト負担となり得る環境分野への取り組みには、まだ及び腰の所も多い時代だったのだ。当時は、環境への影響を犠牲にしてでも事業開発を進める、というモデルが主流だった。この時はまだ、いくら国連であっても人間社会の豊かさがプライオリティであったのだから当然だといえよう。「環境保全は社会に新たな価値を提供するはずだ。健全な生態系を維持できる環境を整えつつ、社会に必要な事業に取り組んでいった方が、未来に渡って人に提供される自然界からの恩恵が生まれるだろう。それは、目先の利益とは計り知れないほどの、新たなる価値であり、人にとって財産となる」といった僕の主張は当時はむしろ亜流だった。民間企業や政府に働きかけ、本当の意味での、社会や経済が融合された、持続的な環境保護を実現していきたい。経済を発展させ、人の豊かな暮らしを実現しながら、環境保全も叶える方法があるはずなのだから。国連開発計画(UNDP)での経験や、そこでの人脈形成はまさに宝ではあったが、果たして自分はこのままでいいのだろうか。幼い頃、心を貫いたあの衝撃は、僕の脳裏から決して離れることはなかった。そしてついに時が来る。自分の信念が、僕を突き動かした。その信念は、幾兆もの銀河で起こる様々な可能性の一つとして、自分の目の前にまたとない最適なポジションをもたらしてくれた。ある時、CIジャパンで、ディレクターのポジションが募集されていることを知ったのだ。CIは、アメリカで1987年に創設された当初から、自然保護団体として森や海に出向くだけでなく、企業とのパートナーシップに注力してきた国際NGOだ。ここならば、長年、コンサルティングに携わってきた経験を活かし、人間社会が自然と調和して生きる道を、日本から具体的に社会に示していけると思った。そんな想いが先導し、国連の気候変動会議に出席するためのマラケシュへ出張中に、CIへの応募書類を書き上げた。「君は、この戦いに勝てるのか」CIジャパンのポジションを得るため、アメリカで受けた面接は、今でも印象に残っている。ノックをして部屋に入ると、当時流行っていた、ブラックベリーという携帯電話に目を落とし、ひたすら何かを打ち込んでいるCI創設者のピーター・セリグマンがいた(後から聞くと、カリスマ投資家ウォーレン・バフェットとやり取りしていたらしい)。彼からのいくつかの質問に答えるも、目元は携帯に落としたまま。時間だけがゆっくりと過ぎた。異様な空気のなか、彼はいきなり顔を上げ、僕の目をまっすぐにのぞきこみ、尋ねた。「君は、この戦いに勝てるのか」突然の問いに、稲妻が走ったような感覚を受け、額にじわりと汗がにじんだ。「この戦い・・・」。それは紛れもなく、急速に進む環境破壊を食い止め、自分たちの力で、社会を変えるということだ。いわば、人間界、経済界への挑戦であり、地球上のすべての生物たちと、地球の未来、即ち人間の未来のために戦うということだった。突然の問いに面食らったものの、すぐに幼いころから抱いていた問いだったことに気が付く。まさに、自分はこの問いを待っていた——この瞬間こそ、自分が人生をかけて待ち望んだ場面なのだ!次の瞬間、考える前に言葉が出ていた。「勝てる!」今、思い返しても、あのピーターの一言は、彼の本気だったし、一瞬で空気を変えるほどの重みを感じさせた。大企業や政府を前に、地球と人を想い、並々ならぬ努力で成果を残してきた彼だからこそ、発せられた言葉なのだ。彼が歩んできた歴史の重みはもちろん、その言葉は、巨大なものと対峙することになるという確固たる決意が必要であることを、感じさせるには十分だったと思う。環境問題に向き合うとは、それほどのことなのだと覚悟した瞬間だった。2006年、CIの事務所にて重要なのは、結果的に環境が守られたかどうか企業との連携を重視するCIが取るアプローチは、良くも悪くも現実的だ。例えば、森林を守るために身を張って抗議するようなNGOも中にはいるが、CIではそうしたことはしない。木を切らせないのではく、木を切らなければいけない社会のシステム、企業のあり方そのものを変えるために働きかけるのだ。一つのNGOだけの力では実現できないことを、民間企業と連携し、協力し合うことで足りない部分を補い合い、新たなアプローチを取ることがきっとできる。そこで僕らCIは企業とも密に連携を取り、プロジェクトを進めてきた。そうすると、今後は「癒着しているのではないか」といった批判を受けることもあった。某大手企業と密に連携を取りながら、エコな取り組みに対するコンサルティングを行っていた当時から、エコなイメージがあまりない大企業と協働することを、良く思わない人たちは少なからずいた。そんな企業と一緒になるとはけしからんと、セミナー参加者に言われたこともあった。しかし、そういった意見を僕らが気にとめることはない。なぜなら、仮に数千人、数万人が環境破壊に抗議し、不買運動を展開したとしても、利益を第一主義とし、環境が悪化しようがお構いなしとするビジネスのあり方そのものを変えられるわけではないからだ。企業の中でも、特にグローバルな大企業は、経済の枠組みの中で人々の生活に根付き、生計を支えてきた。僕ら消費者の求める大きな需要に応えてきたからこそ、成長してきたという意味では、消費者の意識の改革が必要となるが、それは簡単なことではない。であれば、エコな取り組みに紐づかない事業形態を変えることこそが、問題の解決につながるはずだ。だからこそ、僕らは虎の巣に根をはり、企業の事業が少しでも環境に優しいものになるように働きかける。もちろん、場合によっては、企業や政府に対する抗議活動は大切だ。しかし、多くの場合、経済の仕組みを忘れず、ステークホルダーと協働して環境保全に取り組むことで、結果的に、より持続可能な成果につながると僕らは信じている。これはNGOという立場だからこそできることであり、僕らの使命だ。こうしたCIと世界的企業との取り組みの代表例の一つとして、スターバックスにおけるコーヒー豆の倫理的調達への支援を紹介したい。CIは、サプライチェーンの透明性を確保しながら、環境面・社会面・経済面に配慮したコーヒー豆の持続可能な生産や、調達のガイドラインを作成した。スターバックスとは、その後15年以上に渡るパートナーシップの元、企業が取り組むべきCSRや環境保全を積極的に推進。スターバックスのコーヒーは今や、99%がエシカルに調達されていることが検証され、2020年末までに全世界のスターバックスにおいて使い捨てのプラスチック製のストローを全廃することが発表されている。こうした動きは、環境保全への対応が生み出す価値を、CIが訴えてきたことが、一つのベースになっていると僕は思う。ジンベイザメが示す地球とのつながりタグ付けをされた後、スタッフと共に泳ぎ続けるジンベイザメ。タグ付けにより、大きなストレスが与えられなかったことを示している© Conservation International/photo by Mark V. Erdmannこのように、自然環境を守ることに価値を見出し、地球との関わり方を変えることで、人間も地球も繁栄できる新しい方法へシフトしていける。そんなに簡単ではないと思うかもしれないが、良い成功例はいくつもある。その一つが、CIが現在行なっている、「ジンベイザメ トラッカー」というプロジェクトだ。ジンベイザメは、世界最大の魚類で、平均5~10メートルあり、大きいものは体長、18.8メートルにも及ぶ。大きな口をあんぐりと開けて泳ぐ姿を、水族館やスキューバダイビングで見たことがある人もいるだろう。中には100年以上も生きる個体もおり、彼らの生息数は、海の健康度を測る目安にもなる。ジンベイザメはプランクトンや小魚を主食とするため、自ずと彼らはプランクトンが豊富な水域に姿を現す。海水温度が18℃~30℃の、赤道付近の海域で確認されることが多いが、日本近海でも、初夏から秋にかけてその姿を目撃されることがある。プランクトンが豊富な海、ということは、色鮮やかな珊瑚が踊り、あらゆる海の生物が集まってきているかのような、まるで楽園のような海だということだ。人間にとっても漁の目印になるため、ジンベイザメは「漁業の神様」と称されるという。僕は、ジンベイザメや小魚、珊瑚など、形態も大きさもまるで異なる彼らの姿を見るにつけ、地球の長い物語を想わずにはいられない。例えば今、僕たちは海の中で暮らしてはいないが、いつかこの地上の命は、例外なく大地と一体となり、地中で栄養となって雨と共に川を流れていくだろう。そして最後には海に届き、別な形で生まれ変わる。それは何度も何度も、何年も何年も繰り返し行われ、ひとめぐりして戻ってくるのに一万年はかかる、想像を遥かに超えた循環なのだ。やがて、すべてのものが海に還った時、僕たちもまた数十万個以上の種類に別けられたプランクトンという形で、この世に生まれ変わる。そして再び食物連鎖が始まり、無限とも思える膨大な量のプランクトンは潮の流れに乗って、魚たちに届き、魚は他の動物たちに捕食され、物語は繰り返されていく・・・。ジンベイザメは、幾度となく繰り返される生と死の物語が満ちた豊かな海にだけ現れる、生態系の象徴・海の守り神といえるのかもしれない。船の下で餌を食べるジンベイザメ ©Shawn Heinrichsまだまだその生態が謎に包まれた生物だが、2000年に絶滅危惧種としてIUCN(国際自然保護連合)のレッドリストに登録された。高級食材であるフカヒレや魚油を目的とした違法な乱獲や、地元住民による捕食、海洋汚染や水温上昇による餌の減少、また漁船との衝突や漁網に絡ってしまうなど、様々な背景が影響している。20年前には、フカヒレを切り出すためだけに捕らえられ、殺されてしまうということもざらにあった。さらに、効率的に漁をするため、東南アジアなどで実際に行われていた、非常に破壊的なダイナマイト漁や、青酸カリ漁などの恐ろしい漁も、ジンベイザメや海の生態系に大きく影響を及ぼした。しかしこれは、漁師たちを責めれば済む話ではない。漁師たちも、生きていくため、当時では一番お金になった漁を、効率的にやろうとしていただけだった。さらに、その需要は主に先進国の人々が望むからこそ生まれたものだ。ジンベイザメから取れるフカヒレは最高級品として、市場にも多く出回っている。どうすれば、こうした状況を変えられるのか…。考えに考え抜き、CIで2015年にスタートしたのが、「ジンベイザメ トラッカー」だった。考案したのは、30年以上、東南アジアに滞在し、CIで海洋学者として活躍する世界的第一人者、マーク・アードマン博士だ。マーク・アードマン博士 ©Shawn Heinrichsこのプロジェクトの画期的な点は、タギングを通し、ジンベイザメの動向を追跡(トラック)可能なことだ。サンゴ礁が豊かな国には、ジンベイザメが集う海岸が多く、現地の人の漁にたまたまかかった時や、海の上にライトを灯し、近寄ってきたジンベイザメなどを一時的に捕獲してタギングする。このタグが、ジンベイザメに与える害やストレスがないことは研究を通し実証されている。タギング後、ジンベイザメは速やかに海に返される。タグをつけられたジンベイザメは、約2年の間、GPSによりモニターからその動向を追うことが可能だ。彼らの行動範囲や生態に関するデータを取ることによって、保護に適した海域を明らかにすることができる。タギングの様子 ©Shawn Heinrichsこのタギングに寄付などの形で協力した人は、タギングされたジンベイザメに名前をつけることが可能だ。さらに、誰もが、CIのウェブサイト上に公開されている画面で、ジンベイザメたちがどの辺りを泳いでいるのか、リアルタイムで見ることができる。その行動から、個体の特徴なども紹介され、名前をつけた人からすると、まるで自分の子供や友人を追っているような気分になれるだろう。WEBサイトより、トラッキング中のジンベイザメの現在地を確認できるジンベイザメ トラッカーが漁師たちの価値観を変えた釣りの様子 ©Shawn Heinrichsこのトラッキングプロジェクトは、ジンベイザメの保護やサンゴ礁の生態系の改善に貢献しているだけでなく、地元の漁師たちの生活にも変化をもたらした。実はジンベイザメを殺し、フカヒレを売ったとしても、地元の漁師たちからすると、その価値は年間でいっても、一人、多くて数百ドル程度にしかならない。しかし、ジンベイザメを生かし、エコツーリズムを続けることによって、フカヒレを売るよりも地元への経済的な貢献度が高いことも研究により明らかになった。多くが謎に包まれていたジンベイザメたちの行動範囲や、生態などが解析されたデータにより、ジンベイザメを保護するべき範囲が特定しやすくなり、地元の漁業関係者と協働で生態系に負荷をかけない、観光客向けのエコツーリズムの開発を進めることができる。また、エコツアーに参加した観光客もジンベイザメの姿を実際に見て、一緒に泳ぐことで、ジンベイザメへの愛着や興味を強め、彼らが暮らす海や自然など環境への意識を高めるきっかけにもなっている。エコツーリズムは、ジンベイザメと共に生きることで海の豊かさを保つと同時に、地元の経済も豊かにしてくれる、まさに未来につながる取り組みなのだ。こうして、ジンベイザメを守ろうという価値観を現地の人々と育むことが、絶滅の危機にあるジンベイザメ保護の希望になっている。漁師たちとジンベイザメ © Burt Jones and Maurine Shimlockジンベイザメと共に未来を生きる© Burt Jones and Maurine Shimlocさらに、タギングで得られた、ジンベイザメに関する新たな発見は、この巨大な生物を、より身近に感じさせてくれるものとなった。例えば、ジンベイザメは専門家たちが考えてきたよりも、群れでの行動は少なく、各自が個性豊かな旅路や活動範囲を持つということが、このタギングで発見された。通常のジンベイザメよりも、深海の奥深くまで旅をした「モビー」という名のジンベイザメがいる。体長4.5mのオスの彼は、これまで知られてきたジンベイザメが潜る深さを大きく上回り、水深約1.8キロまで回遊したことが分かった。光が届くことのない、どこまでも深い海を、ただ餌だけを目的に泳いだのだろうか?・・・僕には彼が好奇心をもって旅に出たように感じられる。まだまだ謎の多い深海。透明に揺れる、形容しがたいボディの生物、闇に明滅する魚たち、膨張しては収縮するクラゲのようなもの・・・浅瀬では見られない、未知の生物たちとの遭遇に、心を躍らせたのではないだろうか。まだ見ぬ世界を知るために、深い海への旅に出たのではないだろうか。2020年8月現在、CIでは26匹のジンベイザメを追跡中だが、モビーと同様に、みんなユニークな面を見せてくれている。大ジャンプに挑む個体、長距離ランナーのように広大な海を1600kmも進む個体、決まった範囲内で生活をする個体など、一匹一匹、行動も特徴もまるで異なっている。水族館だけでは想像できない、個体それぞれに備わる個性やクセ、野生の海での暮らしがどのようなものか、トラッキングを通じて知ることは、絶滅に瀕する彼らを守り、海の生態系を守るだけではなく、ジンベイザメという一つの種としての物語を知る、重要な財産になるだろう。自然に正当な価値を与える© Shawn Heinrichs生物たちがのびのびと暮らせているかどうかを知ることは、人間の賢さを測る、一つのバロメーターといえるかもしれない。自然は僕らを必要としていなくても、僕らには自然が必要だ。自然とそこに暮らす生物を守ることは、自分たちを守ることでもある。地球上ではすべてがつながり、生態系の中でそれぞれが重要な役割を果たしている。山から川へ、川から海へと肥沃な栄養素を含んだ水が海に流れ、そのプランクトン豊富な海岸線に、ジンベイザメたちが集う。これまでは乱獲されていたジンベイザメたちを守り、彼らの生態系を研究することで豊かな海人々の豊かな暮らしにもつながった。ジンベイザメに限らず、本来、自然が僕らに提供している価値が十分に認識されず、ないがしろに扱われていることは多い。森林破壊や、種の絶滅、海洋プラスチック問題などはその結果だ。しかし、自然や動物たちに正当な価値を見出し、その意識を社会で共有できれば、アイデア次第で、互いが繁栄できる道はいくらでも作っていけるはずだ。「ジンベイザメ トラッカー」は、成功例としてそうした価値観を、世に広げる一つのきっかけであり、社会の仕組みを大きく変換することにまでつながる一大プロジェクトなのだ。変化は一人ひとりの選択で起こる© Will Turner日々、コンクリートの上を歩き、建物の中で大半の時間を過ごす生活の中では、自然環境を意識することはなかなか難しいかもしれない。しかし、僕らの生活は、確かに動物や自然とつながっている。ジンベイザメの絶滅の要因の一つにフカヒレの乱獲の例を出したが、例えば自分自身がジンベイザメを乱獲していなかったとしても、それにより売られているフカヒレを購入したとしたら、自分も無関係だとはいえない。これは一例だが、このように無意識にも環境に影響を与えるようなケースは非常に多い。あなたが使っている物品や、今晩の夕食、帰りに乗る車や電車…、どれをとっても、海や森、動物たちと影響し合わないものはないのだ。その証拠として、新型コロナウイルス(COVID-19)後にロックダウンされた世界では、たった数か月で、各地で環境の改善が見られた。ベネチアでは河の水の透明度が増し、大気汚染がひどかったネパールのカトマンズではヒマラヤが見えた。中国の汚染物質が劇的に減ったという観測データもある。素晴らしいことだが、逆をいえば、僕らの社会はこれまで、その回復力すら押さえ込み、環境を悪化させていたということだ。コロナは世界に大きな被害をもたらしたが、僕らに大切な気づきも与えてくれた。僕らに本来の空の青さや、川の清らかさを思い出させ、社会の変革次第で、健全な地球環境は取り戻せるという希望を示したのだ。日本ではテレワークが進み、地方創生が進む可能性も高い。コロナ後の環境改善が、特に人々の移動の制限により起こったことを考えると、今後も働き方や、それに伴う移動の負荷を見直すことで、環境を良くすることができるはずだ。今年1月に開幕したダボス会議(世界経済フォーラム)では、環境破壊や、格差の拡大を生んだ資本主義そのものの再定義が迫られ(参照)、コロナ流行後は、世界的に消費者のエシカル思考が高まったというデータもある(参照)。未曾有の災害によりもたらされた変革のチャンスは、今、目の前にある。それは、あれこれ考えるより、まずは一人ひとりが行動していくことで、つかめるはずだ。地球上で生きている、すべての生き物は、やがては海に還る。それは人間も同じだ。暖かい海をゆっくりと泳ぐ巨大なジンベイザメたちを見ていると、その時を待っていてくれる、やはりやさしい守り神のように思えてくるのだ。© Conservation International/photo by Mark V. Erdmann―――――――――――――日比 保史(ひび・やすし)兵庫県芦屋市生まれ。甲南大学理学部卒業、デューク大学環境大学院修了。㈱野村総合研究所、国連開発計画(UNDP)を経て、2003年4月より、国際NGOコンサベーション・インターナショナル日本プログラム代表。現在CIジャパン代表理事兼CIバイスプレジデントとして、CIジャパンが行うプロジェクトの全体管理やビジョンの策定、大学での講義や講演、省庁への政策提言、企業アドバイザーを行うなど幅広い業務を担っている。衛星タグを使用し、生態調査を行う絶滅危惧種ジンベイザメの保護プロジェクトが始動プロジェクトページはこちら国際ジンベイザメの日である8月30日に寄せて、2020年8月27日より、ジンベイザメの保護プロジェクトがスタートしています。僕のストーリーを通じ、共感をしていただけた方は、ぜひプロジェクトのページもご覧ください。また、世界中の多くの人へ共感を広めたいと思っていただけたなら、SNS等でのシェアをお願いします。