湖上に暮らす―水の民インダー族の文化とその未来―

湖上に暮らす―水の民インダー族の文化とその未来―

インレー湖に活気を取り戻そう。ミャンマーの何世紀にも渡る伝統を守るために

微笑みの国、ミャンマー東南アジアの国の一つであるミャンマーでは、国民の90%がテーラワーダ仏教(日本語で上座仏教。原始仏教とも言う)を信仰している。テーラワーダ仏教の歴史は、11世紀のバガン王朝から時を刻み始めた。どんなに時が移り変わり、激動の時代にあったとしても、人々は信仰心を守り続け、いまでもその教えは絶たえることなく続いている。この仏教の教えにより、どれほど生活が貧しかったとしても、自分のことよりも相手を気遣い、支え合う文化が根付いている。人々は常に穏やかな笑顔を浮かべているので、「微笑みの国」と称されることもあるほどだ。バガン王朝時代からの寺院 (© Blue Sky Studio / Shutterstock)パンデミック前のインダー族の生活インダー族は、インダー湖上に広がる小さな家々に住む民族グループの一つだ。インダー族の起源については論争の的になっているが、その祖先は現代ミャンマーの南端(タニンタリ地方)からやって来たと考えられている。彼らは14世紀にミャンマー南部から北へ逃げてきたものの、シャン族の「サオファ(王)」がその土地に定住することを禁じたため、インレー湖に定住したようだ。.©Ye Win Nyunt Inle© Ye' Nay Bala湖上でのほとんどの交通手段は伝統的な小型ボート、またはモーターを装備した大き目のボートだ。地元の漁師は、片足で船尾に立ち、オールにもう片方の足を掛けた独特の漕ぎ方で知られている。座って漕ぐと、葦や浮草によって先が見えないため、このユニークなスタイルが生み出されたそうだ。立ち漕ぎであれば、葦の向こうを見ることができるのだ。足で漕ぐこのスタイルは、主に男性向きであり、女性は船尾に足を組んで座り、手でオールを使うスタイルが一般的となっている。湖では漁業だけではなく、実は農作も行われている。浮き草を積みあげて作られた畑では、トマトやナス、キュウリなどの野菜が栽培され、果物なども収穫が可能だ。中でもトマト栽培が有名で、インレー湖周辺のマーケットでは、ここで採れた色とりどりのトマトが並んでいる。湖上に浮かぶ畑の近くで釣りをする漁師 (© Ye Win Nyunt Inle)インレー湖には、地域独特の伝統の技術や物産品がある。銀細工や機織りなどの手工芸品の他、両切り葉巻のチェルートなどがその代表例であり、地域経済において、漁業や農業と同様に重要な役割を果たしている。伝統工芸品や、農作物、魚などがどのように売買されるのかというと、湖の上で「水上市場」が開かれ、多くの人々が買い物に集ってくるのだ。一所に野菜や魚、蓮の花、銀細工、布織物、葉巻などを乗せた小舟が集まり、活気に満ちた声が湖上に反響する様子は、見ているだけで楽しい。「美味しい魚はいらないかい?」「この布織物は柄も美しければ、手触りも素晴らしいよ」「恋人のために銀細工はどうだ?」などなど、時に笑い、歌いながら、陽気に人々が交流する水上市場は、単純に物を売買するだけではなく、文化伝統を担う人々と出会える場所としての役目を果たしている。陸での市場しか知らない人にとって、初めてその様子を見たなら、まるでおとぎ話の世界に迷い込んだように感じるかもしれない。特に夜に訪れると、一つひとつの船の上で蝋燭が揺れ、月明かりが湖上を照らし、幻想的な様子を目の当たりにすることが出来る。湖上での暮らしや、伝統技術、水上市場の様子、それらすべてがインレー文化そのものなのだ。銀細工の加工(© Ye' Nay Bala)布を織る様子(© Ye' Nay Bala)両切り葉巻(© Ye' Nay Bala)水上マーケット (©Ye Win Nyunt Inle)インレー湖はミャンマーの主要な観光地の一つであり、観光事業は村人の生活を支えてきた。観光客は、僧院やパゴダを巡り、伝統的な手工芸品を手にし、年に数回開催されるお祭りに参加するなど、インレー湖独特の雰囲気に触れるのだ。有名なパウン・ドー・ウーパゴダ (© Ye Win Nyunt Inle)パウン・ドー・ウー祭り(©Ye Win Nyunt Inle)「タディンジュ(Thadingyut)」という、釈迦が天界から降りてきたといわれる旧暦の月に、インダー湖を取り巻く祭りが毎年10月に開催される。ミャンマー全土から巡礼者が訪れる巨大な仏塔、パウン・ドー・ウー(Phaung Daw Oo)パゴダには、古代から伝わる5つの仏像が安置されている。10月の祭りでは、その内4つの仏像を船に乗せ、18日間掛けてインレー湖の村々を巡るのだ。伝統的な衣装を身にまとった何百人もの男たちが、仏像を積んだ金色の小舟で湖を渡る様は、まさに圧巻だ。船の上に仏像が祭られる、といっても、それらの仏像は金の球体にしか見えない。これは何年もかけて参拝者たちが金箔を貼り続けた結果、元の像が見えないほどに金箔で覆われてしまい、原型が見えなくなってしまったせいだ。パウン・ドー・ウーパゴダに祭られる5つの仏像 (©Ye Win Nyunt Inle)そんなちょっとユニークな一面を持つこの仏像には、ある伝説が存在する。――ある年、大きな嵐が直撃したことにより、仏像を乗せた船が転覆する事件が起きたという。湖に何度も潜り、仏像の捜索は続いたものの、結局、像は4つしか見つけることができなかった。しかし、意気消沈し、落胆して戻ってきた人々が目にしたのは、水草に覆われ、水が滴る5つ目の像が、寺院の台座の上で輝く姿だった。それ以来、5つ目のその仏像は奇跡として語り継がれ、祭りの間も塔の外に出されることはなくなった。そのため、4つの像だけが船に乗っているというわけだ。神聖な祭りのもう一つのハイライトは、湖周辺の村々を代表する、足漕ぎチームによるボートレースだ。各村対抗のこのレースは、祭りの期間中、2日に渡って行われる、観光客にも大人気の催しとなっている。普段は穏やかな湖が一変し、水しぶきを激しく上げながらボートが湖を進む様子に、人々は伝統音楽で踊り、声援の声を轟かせ、その熱気は最高潮に達する。ボートレース(©Ye Win Nyunt Inle)この祭りはインレー湖に暮らす人々にとって大切なものだ。年に一度の盛大なこの祭りを皆で盛大に祝うとともに、暮らしを支える金銭を稼ぐタイミングでもある。しかし、非常に残念なことに、これらの祭りはCOVID-19のため、中止となってしまった。パンデミック後のインダー族の生活2020年3月20日、ミャンマーではCOVID-19の蔓延を防ぐため、主要な観光地すべてがロックダウンされた。インレー湖で暮らす人々にとって、観光は主要なライフラインだ。彼らに与えた打撃がどんなものであるのか、想像するのも難くないだろう。ホテルや、レストラン、水上タクシーなど、主要な財源の元が観光業にあったことで、多くの人が職を失ってしまった。その日の収入で暮らしをまかなってきた人々にとって、今や今日食べるものを買うお金もない状況だ。実際にいま彼らがどんな状況に置かれているのか・・・その生の声を紹介したい。© Ye' Nay Bala船の上で果物を売っている人:――パンデミックが起こる前は、毎日2万MMK(1600円)から3万MMK(2300円)まで稼げていましたが、今では1日の収入が5000MMK(400円)から10000MMK(800円)くらいです。以前は物販しかしていませんでしたが、現在は生活のために釣りにも行く必要があります。魚の値段は安くは設定できません。これでお金を稼がないといけないのですから。これは私に限った話ではありません。多くの人が金銭面で悩みを抱えているのです。© Ye' Nay Balaパウン・ドー・ウー・パゴダの近くで物売りをする女性:――家族の中に頼れる男性がいません。夫は脳梗塞に苦しんでいて働けないので、私が代わりに家族全員の糧となっています。長女は高校最終学年で、息子は小学校に通っています。職人たちが丹精を込めて作った品物を売り歩き、5ヶ月になりますが、お客さんの姿がなくてはどうしようもありません。家族で何とか踏ん張っていますが、本当にどうしたらいいのか・・・。© Ye' Nay Balaインレー伝統竹工芸品店のオーナー:――私は5年前にお店を始めました。7家族が従業員として働き、商売は順調でした。しかし、パンデミックが起こると、給料を払うことが困難になり、不幸にも解雇せざるを得なくなってしまったのです。従業員の家族も私と同じように苦労しています。店は3ヶ月前から閉店し、お金も残っていません。このままではどうしようもないので、ウイルスの恐怖に怯えながらも、店を再開するしかありませんでした。パンデミックの前は、約20〜30隻の船が私の店を訪れていましたが、今では日に2〜3隻しかありません。竹細工を作る様子(© Ye' Nay Bala)チェルート(両切り葉巻)職人:――以前は、小さな葉巻の束で5000MMK(400円)、大きな葉巻の束で15000MMK(1200円)の収入を得られましたが、COVID-19が拡大してからは、それぞれ2000MMK(160円)と6000MMK(480円)にしかなりません。この金額では家族2人を養うにもまったく足りず、お金を何度も数えては頭を抱えています。私の夫は息子が2歳の時に亡くなりました。今、息子はまだ13歳です。私はシングルマザーとして一人で働き、これまではなんとかやって来られましたが、今は生活するのに毎日必死です。上司に何とかしてもらえないかと助けを求めていますが、上司もまた、似たような状況です。お互いに助け合うのにも限界があります。両切り葉巻の職人 (© Ye' Nay Bala)水上タクシーの運転手(ボート運転手):――COVID-19以前の生計は順調でした。しかし、今はかろうじて飢えを凌いでいる状況です。以前は、観光客用のボート50隻すべてが観光客を乗せ、1日に2〜3回観光地を周回していました。しかし、現在の状況では客を得ることは非常に困難です。50隻のボートの内、せいぜい5隻のボートが1日に1回、客を乗せている程度です。まったくお客さんが来ず、ボートを出せない日もあります。私の妻がチェルートの職人なので、今は私も彼女の手伝いをしていますが、限界を感じています。他の仕事をしようにも、私は水上に畑を持っていないので、農作業はできません。また、マーケットからの需要がないので、漁業で生計を立てることも厳しい状況です。事態は日々、深刻化しています。© Ye' Nay Balaインレー文化伝統の布屋さん:――COVID-19以前は、10本程度の布を織り、服を作っていました。しかし、いまは需要がなく、5本程度の仕事にしかなりません。従業員は作った服の量に応じて給料が支払われる仕組みなので、収入は激減しました。通常、観光シーズンでは毎日150隻ほどの船がお店にやって来るのですが、今では1日に10隻程度に留まっています。さらに減るかもしれません。© Ye' Nay Bala機織りをする様子(© Ye' Nay Bala)銀細工店主:――以前は順調に営業していました。地元の方はもちろん、外国人観光客の方も多く来店されていました。毎年、4月は観光シーズンなので、銀の原料を備蓄していたのですが、3月25日にロックダウンが発令され、3ヶ月間の休業を余儀なくされました。従業員に来てもらっても仕事がないので、銀の原料を自宅に持って帰ってもらい、在宅で仕事ができるようにしました。従業員の苦労を少しでも和らげてあげたいと考え、お米や油を配ったりしています。もし私自身のことだけを考えるなら、地元のお客さんも観光客もまったく来ないので、すぐに店を再開することはなかったでしょう。休業中、従業員を解雇することもありました。しかし、経済的に苦しい人たちのために再雇用することを決め、一か月前に店を再開したのです。彼らの中にはまだ学生もいるので、なんとか力になりたいと思っています。© Ye' Nay Bala・・・インレー湖には、約300の村があり、その中の一つに「ナンパン」と呼ばれる村がある。ここでは現在、1000以上の家族が生活している。その昔、ナンパンは5つの小さな村だった。村は観光業の拡大とともに大きくなり、政府によって一つの村として統合されることになった。先祖代々、観光によって地域の発展に貢献し、生計を立ててきたナンパン村の人々にとって、生活の基盤はいまも観光業に置かれている。そのため、インレー湖周辺の村々の中でも特にCOVID-19による打撃を受けてしまっているのだ。いま、何千人もの人々が困窮した状況のなかで、どうにか助け合い、暮らしている。釣りをする村の子供 (© Ye' Nay Bala)通常、村人の多くは観光シーズンに貯金をし、その貯金の中で生活をする。4月の水祭り(ミャンマーの新年)や、10月のPhaung Daw oo pagoda(パウン・ドー・ウー・パゴダ)の祭りには多くの観光客が集まるため、ここが村人たちにとって大きな稼ぎ時であり、今後の暮らしを左右する重要な時期だ。しかし、今年はこの2つの主要な祭りが中止になってしまった。観光業や伝統産業に従事する人々は、今日、明日を生き、家族を養うため、これまでの仕事を手放し、新たにニーズのある仕事を選ばざるを得ない状況だ。中には長年暮らしてきたインレー湖から離れ、別の村や町に移住する人もいる。ロックダウンが終わったとしても、かつての活気ある湖――人々が船の上でゆらゆらと揺られながら歌をうたい、指先で藻をすくって楽しむ様子や、浮家の中の工房で機を織り、銀を金槌で打つ様子、魚や野菜、果物、装飾品などを乗せた船が行き交う様子は、すぐには帰ってこないだろう。いや、もしかしたら二度と戻ってこないかもしれない。生活のためにこれまでの暮らしを廃止し、湖から離れ、インレー文化の伝承者がいなくなってしまうことが、もしニューノーマルなのだとしたら、私たちが守ってきた文化のすべては湖の底に沈み、いつか忘れ去られてしまうだろう。インダー族の子孫として、文化を守りたいもし、あなたがインレー湖を訪れたことがないのなら、あなたに私たちの文化のすべてを見せてあげたいと思う。湖のように穏やかな心で、人々はあなたを歓迎するだろう。あなたは手に取る一つひとつの銀細工の美しさにため息を漏らすだろうし、蓮花の茎から紡績する繊細な職人の手に魅了されるだろう。船の上、遠くから聞こえる読経の声に知らず微睡を覚えるだろう――。このまま、何もしなければ、この真実の文化的風景が泡と化してしまう。インダー族の子孫としての私の血が、目をそらさず、行動せよと叫んでいる。私は考え、最初にナンパン村の人々へ必要な物資を届ける決意をした。しかし、これは私一人の力だけではどうすることもできない。もし、私の物語を通し、インレー湖の風景や文化が続く未来を見たいと思ってくれたなら、その想いになんとしてでも応え、私は文化継続のための使命を必ず果たすことを宣言する。そして、どんな形でもいいので、あなたの手を貸していただけたなら、あなたの愛ある行動に心からの感謝と敬意をお伝えしたい。プロジェクトページはこちら--------------------------メンター:カウン・ミャッ・スウィンカウン・ミャッ・スウィンはミャンマーのタウンギ市で生まれた。インダー族と呼ばれる湖に住む先住民族の末裔である。2018年に大学を卒業後、ミャンマー・シャン州のハンドメイド商品を販売するインレー湖のお土産屋さん「シュウェ・インレーヘリテージ」を起業。慈善活動や仏教活動に積極的に取り組んでいる。