気づけば35歳、焦りと希望を書いてみた

気づけば35歳、焦りと希望を書いてみた

子どものころ、まさか自分が35歳になるとは思わなかった。というか、まったくイメージできなかった。毎年訪れる初年齢だから当たり前なのだが、毎年友人と、「自分たちが●●歳になるなんてねぇ!」「もっと大人だと思ってたわ!」とよく話すものだ。きっと世の中の皆さんも、一度や二度三度、誰かと交わしたことのある会話18歳で仙台から上京、大学を卒業してそのまま東京で就職。20代はとにかく遊びも仕事もチャレンジした(と思う)。確か25歳のころ、海外のドラマや映画に感化されまくり、初めて一人旅で行ったニューヨークは鮮烈だった。どこどこに行きたい!とかは特になく、ただ現地のスタバでコーヒーを買い、ヒールを履いてブロードウェイを闊歩したかったのだ。とある映画のキャリーのように。2013年2月半ば NewYorkにて。マスクがいらなかった時代朝7時から夜中1時まで、事前の情報収集で地下鉄には絶対乗るまいと思い歩きに歩き、毎日マンハッタン中のストリートとアヴェニューを右往左往した。2月の真冬、7時頃ようやく太陽が顔を出し、ビル群の隙間から見える日の光は、ビルに反射しているのも相まって、本当に綺麗でいまだに忘れられない。3泊5日の弾丸旅だったが、こんなキラキラした3日間は他にない。それは現地での体験以上に、「ああ、自分で選択を変えたらいつもの休みがこんなに変わるのか」と思えたことが最大の収穫だった。エイヤー!で決断した当時の自分を褒めたい。話は変わって、私は30歳で3度目の転職をし、今年35歳の年。過ぎてみるとあっという間で、気づけば出産適齢期が過ぎようとしている。昔、看護師の友人から、35歳以降の初産は一気にリスクが高まると聞いた記憶がある。母が私を産んだ年齢は当に過ぎ、数えてみたら今10歳前後の子供がいてもおかしくはない年齢になったのだ。周囲の友人の9割以上は結婚・出産していることもあり、何となく「漠然とした焦り」を感じるようになった。原因は結婚・出産だけではない。このままお一人様コースの可能性が見え隠れすると、経済的な不安も加わり、親も順調に年をとってきて、あとどれ位一緒に過ごせるのだろうかと、寂しさも積もってくる。状況の変化が、焦りを複雑にしているように思う。ただ、ここ数年で気づいたことは、焦りや悩みは一緒くたにせず、一つ一つ紐解いていけばよいということ。焦りの原因がもうひとつ。このままだと、尊敬する母の遺伝子を後世に残せない可能性があると思うと、何やら申し訳ないというか不甲斐ない・・・。妹よ、頼みます(笑)変わる価値観変えたくない価値観オランダ アムステルダムにて。一人旅はほぼ風景写真(笑)いくら時代が、価値観が移ろっているとはいえ、自分にある程度自信がなければ、「結婚していない=何か自分に問題がある、こじらせている」と考えてしまうのが、正直なところ(笑)「結婚できないんじゃなくて、しないことを選択しているんだ」「結婚=幸せ、勝ち組ってわけじゃない」「一人の方が楽だ」どれも一通り思ったことはあるが、今はどれもしっくりこない。幸せだったら素晴らしい。今幸せじゃなくても、禍福は糾える縄の如し、塞翁が馬だ。(しっくりくることわざを調べました)ただ確信していることは、結婚は「修行」だということ。男女の愛情はもって4年程度らしく、そう思うと40~50年連れ添う相手に求めることは、「結婚は修行である」と思っていることかもしれない。そう思えば、日々頑張れそうだ。都合の良い解釈を今勤めているFreewillのCEO Toshiさん(勝手に写真掲載すみません!)たくさんの"旅"から”非日常”を経験させてもらい、感謝!70歳の方から見たら、35歳という年齢はどう見えるのだろうか。少なくとも35歳から見た17~18歳は、おいおい、何でもできるじゃあないか。もちろん好奇心旺盛な若々しい諸先輩方がいる一方、何かを悟っているのか老け込んでいる10~20代もいると思うと、人間、年齢ではないのはその通り。ただ自分が70歳になった時、35歳の時、行動し決断した自分を褒められるようになっていたいと願うばかりだ。これは希望というか「都合のよい解釈」の話かもしれない。