僕の「生きる意味」と「幸せ」の答え(2021年4月時点)

僕の「生きる意味」と「幸せ」の答え(2021年4月時点)

生と死から考える

「死」と「生」2019年ヨーロッパに留学中だったある日、親友が亡くなったとの知らせが届いた。事故死だった。「死」と「生」を強く意識するようになったのは、この時からである。僕が生きる意味は何か、僕にとっての幸せは何か、どんな死を望むか、、誰も答えを教えてくれない、自分しか知らない、でも自分すら知らないこの問いに対して、時折グルグル考える。2021年4月末の、今の答えを残しておきたい。生きる意味僕が生きる意味は、世界を少しでも良い方向に変えることだ。そしてその過程で恩を返し、周囲を幸せにすることである。僕が死んでも世の中は何も変わらない。でも、生きているうちに少しでも世の中をより良い方向に変化させることができたら、この世に1人の人間として生きた意味があるのでは…と思う。僕は今、生きている。それも、とっても恵まれた環境で。だったら、ゆるゆる生きていくのではなく、どうせなら意味をもって生きたい。いつ死ぬか分からないからこそ、人のため、より良い世界のために生きたい。幸せ僕にとっての幸せは、自分事として捉えられる範囲の人たちの幸せの総量だと思っている。自分のための行動による幸せよりも、誰かの幸せのための行動の方が、自分自身に返ってくる幸せの総量が圧倒的に多いことは明らか。ゆえに、自分ごととして捉えられる範囲の幸せの最大化=自分の幸せの最大化 になる。理想の死死ぬときは、やっぱり幸せな気分で死にたい。ではどうしたら幸せな気分で死ねるか。僕の今の答えは、「胸を張れる生き方をすること」だ。いつ死ぬか分からないからこそ、死ぬときに自分を誇れるような生き方をしたい。そんな生き方を貫き、やり切ったと思えたら、幸せな良い気分で死を受け入れられると思っている。もう少し深掘ってみる。僕にとって胸を張れる生き方とは何か。それは、「自分にも周りにも正直でいること」「自責で生きること」「人や社会の役に立つこと」「恩を返すこと」の4つである。これらを実現するために「自分が感じた課題を解決するために自ら動ける人でありたい」と考えていて、そのためには、【強さ】が必要になる。強さとは、能力やスキルなど、、要するに「どれだけ価値を生み出せるか」である。【強さ】がなければ、どれだけ想いや優しさがあっても形にすることはできないし、役に立つこともできない。もどかしいだけである。だから、想いと強さの両方をもった人でありたい。それによって初めて、人や社会にプラスの影響を与えられると考えている。その【強さ】の一つとして、ITの可能性を信じている。今、世界の変化を加速させているのは紛れもなくITであり、ITが世界を良い方向へ変化させる手段として、多くの選択肢と大きな可能性を与えてくれる武器になると考えている。ITを理解して扱う側になるか、扱われる側になるかが、自分や周りを守るためにも、世界を良い方向に変えるためにも重要になる。先ほど「僕にとっての幸せは、自分ごととして捉えられる範囲の人たちの幸せの総量」と書いたが、その「自分ごとの範囲」を広げていくことが「成長」であり、幸せの総量を大きくするために不可欠だと考えている。分かりにくいので、具体例をあげてみる。僕は生粋のバスケ少年だったが、バスケを始めたばかりの頃は当然右も左もわからず、しばらくは「自分のことで精一杯」だった。それがスキルや能力が上がってくると、チームメイトのことを気にかけることができるようになり、そのうちチーム全体のことを自分ごととして捉えて考えられるようになる。日本代表レベルになれば日本のバスケ界全体を自分ごととして捉えられるようになるかもしれない。こうして自分ごとの範囲が広がることが「成長」だと捉えている。成長は、能力的な成長と精神的な成長に分けて考えている。能力的な成長は、できることが増える、できることがもっとできるようなるといったこと。精神的な成長は、人間的な成長ともいうべきか、、人間性の部分である。ストレス耐性やセルフマネジメントなども含まれる。自分ごとの範囲を広げるには、この双方の成長が不可欠だと考えている。そのために自分のコンフォートゾーンを意識的に抜け出し、チャレンジしていく。一旦整理すると成長することで自分ごとの範囲を広げる。強さと想いの両方をもつことで、自分ごととして捉えられる範囲の幸せを最大化し、世界を少しでもいい方向に変化させる。いつ死んでも胸を張れる生き方をする。では、どのような世界を目指したいのかについてはまた別の記事で書こうと思う…