石の撤去作業を通して感じたこと
~宮城県石巻市雄勝町 ローズファクトリーガーデン~
先週、会社の出張で東北に行った。出張では、東日本大震災の復興跡を見て回り、語り部の方の話を聞くなどした。赴いた場所の中に、宮城県石巻市雄勝町にある、ローズファクトリーガーデンという庭園があった。今回は、そこで私が感じたことについて記事を書くことにした。雄勝町は、東日本大震災の際に、津波によって町全体が飲み込まれ、大きな被害を被った地域である。現在は、2000平米ある敷地に、チューリップ、ネモフィラ、ミント、ローズをはじめ多くの種類の植物が育てられており、オリーブガーデンも存在する。しかし、はじめはたった二株のお花から始まり、その後多くの人々の手によって、現在の姿になったそうだ。なぜ多くの人々がこのガーデンの活動に携わってきたのか。「それは、植物に、人々を癒す力があったから」と、ガーデンの代表である徳水利枝さんはおっしゃっていた。また、植物は、人々を癒すだけではなく、人脈も作った。その人脈とは、一時で切れてしまうものではなく、「自分が植えたお花がどうなっているかな、元気で咲いているかな」と、その後も定期的にガーデンを訪問したり、連絡を取り合うような、継続された人脈を植物が保ってくれているという。そして今回、私たちがガーデンを訪れた理由は、お話を聞くだけではなく、畑づくりのお手伝いをするためだ。これまでガーデンに携わってくれた方々への恩返しということで、現在、薬草畑を作る計画が開始されており、私たちは畑を作るうえでの基礎にあたる、石の撤去活動を行った。石の撤去活動?と思う方もいるかもしれないが、先ほど述べたように、この町は津波に飲み込まれた地域で、その爪痕は今でも残っており、石もその一つなのだ。石(小石から直径50㎝程の岩まで含む)は、畑予定地の至る場所に点在していたのだが、ある一つの場所にとても多くの石が集まっていた。ガーデンの共同代表である徳水博志さんによると、それは、津波がそこで渦を巻いた証拠だそうだ。石を掘って撤去していると、実際に津波で流されてきたゴミがいくつも発掘され、当時の状況が想像された。ただの単純作業ではなく、「こんな大きな岩まで津波で運ばれてきたのか」「この器は当時何に使われていたのだろう」と、当時のことを自分なりに様々に想像し、考えさせられるような撤去作業であった。作業前に、写真を見ながら雄勝町の被害について説明していただいたのだが、津波の惨さを知ることができた一方で、想像が及ばないところもあり、自分の中で消化しきれずもやもやしていた。しかし、自分で石を撤去し、爪痕を目の当たりにすることで、「そういうことか、、、」と、イメージを掴むことができ、自分で体験しないとわからない情報がたくさんあることに気が付いた。震災の復興跡を訪れていない人にとっては、メディアでの限られた報道でした情報を得られないが、その情報も、「震災は恐ろしい」「津波は恐ろしい」という漠然としたものだけだと思う。震災で起こった津波が人やモノにどう影響を及ぼしたのか、震災後の人々の悲しみ、復興に向けた現在の取り組み等、最も広めていかなければならないリアルで具体的な部分について触れることは到底難しい。現地訪問したからと言って、被災した方の気持ちを完全に共有できるわけではないが、私たちにできることは、当時の状況を知るとともに、じゃあ自分は東北にどう関わっていこうか等、その地域の方の意思をつなぐような行動を起こすことが、この先重要であると感じた。