戦争前の私の家族

戦争前の私の家族

ワンラブプロジェクト 私の名前はユリヤ。日本とウクライナのハーフです。私には弟と妹がいます。彼らは私とは別の母親から生まれましたが、私は彼らを異母兄弟、異母姉妹とは決して呼びません。なぜなら、彼らは私の家族だからです。弟のデニスは、私が11歳の時に生まれました。その時、私は日本に住むために引っ越したばかりでした。彼らが生まれてからずっと、彼らはウクライナで、私は日本で暮らしてきたのです。彼らと一緒に過ごせなかったその日々。二人がどんなものと出会い、どんなふうに成長してきたのか。共に過ごせなかったその月日を想うことがあります。だからこそ、ウクライナに帰り、彼らと過ごす時間は、私の何よりの楽しみでした。2022年3月、私は家族に会いに行きました。そして、胸が痛くなりました。弟と妹が「死」について、しかも淡々と話していたことに、私は驚愕しました。そして気が付きました──ロシアがウクライナで戦争を始めてから数週間。ひどい怪我をする人々や、破壊される街や家、そして人々が殺されるその光景は、日常の一部となりました。彼らはその現実に適応せざるを得ず、慣れてしまったのです。それは、恐ろしい写真そのものよりも、私を悲しませました。私が日本に移住するため、父に別れを告げ、ウクライナを離れなければならなかった時、心が傷ついたのを覚えています。当時11歳だった私は、自分の世界が終わってしまうような気がしました。今、私の弟は11歳です。彼もまた、父に別れを告げ、ポーランドへ向かいました。異なるのは、私は戦争から逃げていたわけではなく、父にまた会えるとわかっていたことです。彼らもきっとそうなると信じていますが、この状況では確信が持てません。本当に、デニスとミラがこんなに早く苦難を味わわなければよかったのにと思います。でも、人生には選択の余地がないこともあります。この話で憎しみや悲しみを広げたくはありません。ただただ、皆様のお力添えをお願いしたいのです。ミラやデニスのように、戦争から逃れなければならなかったウクライナの子どもたちを助けてくださいと、今、お願いします。また、そうでなくとも、親を亡くしたり、危害を受けたり、今もウクライナで危険にさらされている人たちもいます。彼ら、そして世界中が今必要としているのは、強い意志を持った、私利私欲のない、行動ができる思いやりのある人々なのです。読んでくれてありがとうございます。ユリヤウクライナをサポートする